サイコロ 石川メリヤスマガジンVolume11
進取の気性、自主独立、地道な努力
3つの原点をたどる
サイコロNo.11 / January 2025
photo_ishikawameriyasu text_Toyo Omiya
「借金をして善久寺の前に土地を買って、夜遅くまで働いていた。でも、機械の音は大きいし、女工さんたちはラジオをかけていた。ご近所から『やかましい!』と苦情が来たよ。あれじゃ眠れんもの。追い出されて当然だったね」
1957年に愛知県の吉良町・宮崎地区で創業した石川メリヤス。手動式軍手編機で操業していた頃のドタバタを思い出すのは、創業者・石川進の妻であるきよ子です。ご近所に頭を下げつつ、進は石川メリヤスの原点とも言える機械を導入します。島精機製作所が1964年に発売した全自動角型手袋編機です。業界の主流は松谷鉄工の編機で、そのほうが生産性は高かったと進の長男で2代目社長の石川君夫は解説します。
「でも、松谷の機械は軍手を引っ張りながら編む仕組みなので製品が伸び切ってしまう。島精機のほうはふわっと仕上がって着け心地もいい。親父は島精機の編機に替えた。即断だったようだ」
慣れ親しんだ機械をすべて入れ替えるという決断。その意義を島精機製作所の創業者である島正博名誉会長は次のように評価します。
「当時は編機が日進月歩の進化を遂げていました。石川さんは常にチャレンジ精神を持って新しいことに取り組んでおられました。だからこそ、日本どころか世界にもまだない機械を買って使いこなそうと決断できたのでしょう」
高品質の製品を作るためには、新しい技術の導入や設備投資を迷いなく行う――。1969年に現在地である田園地帯の吉良町富好新田に移転してからもこの姿勢は継続。1972年に入社した君夫によって引き継がれ、SPF(5本指ソックス専用編機)、SJF(ジャガード編機)、SWG(ホールガーメント横編機)といった革新的な機械を島精機が開発するたびに積極的に導入してきました。
また、進は独立独歩の性格でした。作業用手袋は受注生産が普通でしたが、自主企画の高品質な作業用手袋(現在も製造している「サイコロ」シリーズ)を企画し、自ら在庫して販路を開拓。この気風も石川メリヤスの社風となり、現在に至るまでのロングセラー商品である2重編靴下「ラブヒール」(1993年)の開発などにつながっています。
一方で、進は「ゴマカシが嫌いだった」と君夫は証言します。原料などの仕入れ先はほとんど変えず、買い叩くことなども決してしませんでした。
「信頼関係がわかる人だけと長く付き合う。みんなの採算が合うような仕事をする。それがうちのやり方だ」
「ショルダーフォン」と言われていた頃の携帯電話をいち早く購入した新し物好きの進。釣りや狩猟、絵画など多趣味でもありましたが、賭け事はまったくせず、バブル経済期も株式投資などには無関心。いくつか購入した土地はすべて自社用。転売目的ではありません。そんな創業者を君夫は次のように総括します。
「手間暇かけてでも他よりいいものを作るというプライドがあった人だった」
進取の気性と自主独立の精神を持ち、ゴマカシのない地道な仕事を毎日やる――。石川メリヤスはこの原点を忘れずに働き続けます。
漁師だった父親とケンカして家を出て起業した石川進
いつも何かを考えており、毎年のように工場のどこかを改修・増築する人でした。
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