サイコロ 石川メリヤスマガジンVolume13
職人の技と心が連綿と続くモノづくりのまち
サイコロNo.13 / January 2026
photo_Iwase Bunko Library text_Toyo Omiya

写真:ガラ紡船
ガラ紡船は、川船の横にとりつけた水車を動力としていた。船の中央部分はガラ紡機を設置するためのスペース。後方が4.5 畳ほどの居住空間になっていた。
「頼まれ事は試され事」。三河地方で繊維産業に携わってきた方がつぶやいた仕事論です。この簡潔な言葉を聞いたとき、なぜ私たちはこれほどまでにモノづくりが好きなのかが少しわかった気がしました。
新商品開発やブランディングにも力を入れている石川メリヤスですが、会社の屋台骨を支えるのは常にOEMです。社員と話していても、「自分たちの技術を生かして求められたことに応えたい」という気持ちを強く感じます。他社からの要望をかなえることにやりがいを感じる私たち。「難しいけれどやれますか?」と頼まれたら、たいてい「やれます!」と答えます。職人としての力量を試されていると奮起し、サンプル作りに試行錯誤する毎日です。主体性がない下請け体質とも言えますが、それが三河の風土であり、職人としての姿勢なのだと思っています。
西尾市岩瀬文庫の浅岡優さん(学芸員)は、西尾の工業は「田んぼを作りにくい土地」と「矢作川の水運と水力」という2 つの条件下で発展の素地ができたという仮説を語ります。
「江戸時代の主要産業は米ですが、米作に向いていない土地では副業をせざるを得ません。ここでは木綿、鋳物、瓦、花火、塩などの生産が盛んでした」
そのうち木綿は国内有数の産地となり、平坂港に集積して江戸に送る「買継問屋」が富商として勃興。資本の集中も進みました。幕末からはイギリス産の綿布や綿糸の流入で綿栽培や家内工業(手紡績)は減少し、ガラ紡(和式紡績機)が発明されました。
当時、矢作川沿いには水運で栄えた中畑村を中心に多くの川船が停留していました。使い古された川船を紡績工場に転用したのが「ガラ紡船」だと浅岡さんは説明します。
「土地や建物を用意する必要がなく、何よりも水車を備え付けることで動力を得られます。明治12年、中畑村で船紡績が始まりました」
ガラ紡船が陸上工場に取って代わられてからも西尾市内の繊維産業の隆盛は続きました。石川メリヤスの設立も昭和32 年です。
昭和40年代になると自動車関連工業が勃興し、現在に至ります。西尾市には繊維や鋳物、瓦の機械を製造・修理する技術の蓄積があり、その一部が自動車部品工場へと変貌しました。
「トヨタグループの源流企業は豊田自動織機であることはよく知られています。あくまで私の推察ですが、機織り機の扱いに慣れていた矢作川流域の技術者との相性は良かったはずです」
浅岡さんが例示するのは、工場内の道具の多くを自分たちで作って修理する習慣です。自動車を含む三河のモノづくりの特徴と言えるかもしれません。
矢作川が開削工事によって現在のような川筋になったのは江戸時代初期のことです。この川が輸送と動力という恵みを提供し、技術と資本が蓄積し、西尾のモノづくりの基礎を築きました。
西尾の地で作るモノは時代によって変わります。しかし、「頼まれ事は試され事」と張り切って現場に向かう私たちの姿勢はこれからも変わりません

写真左:西尾市岩瀬文庫の学芸員 浅岡優さん
西尾の工業史について語り合う浅岡さんと弊社代表の大宮裕美。考古学が専門の浅岡さんは主に西尾市の発掘調査を担当していますが、今回は近代の工業史を調べてくださいました。
写真右:現在の矢作川と中畑地区
かつては無数のガラ紡船が停泊して糸を紡いでいた。現在は自動車関連工場が立ち並ぶ中畑地区は、市内有数の工業地帯として知られている。
上記の他にも「知産地匠アワード2025にて優秀賞受賞」「ドキュメンタリー映画『わたのまち、応答セヨ』上映会開催」など掲載しております。
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